素直な自分になるブログ

~昨日より少しでも自由に生きられるように~

「自分が本当にやりたい事」が分からない時

今日は私自身の事を書いていきたいと思います。

 

「好きな事が分からない」

「好きな事をしよう」

と言われても本当に自分がしたい事が分からない。

私自身がそういうタイプです。

 

今までただなんとなく流れに乗って生きてきて、特に何もして来ませんでした。

やっても中途半端。初心者か、ちょっと毛が生えたくらい。

大半はゲームばかりして過ごしてきました。

 

周りを見るといつの間にかみんな自分の道を進んでいる。

SNSの普及で周りの状況も見易くなりましたしね。

 

何がしたいのか分からない自分を責めてしまったり、年齢だけ重なり「好きな事をしなくちゃ」とつい焦ってしまう毎日。

幸せになりたくて「好きな事をしよう」を知った筈なのに、それが悩みとなってしまっていました。

 

「好きな事」って何だろう?贅沢する事?

どのくらい好きだったら「好きな事」に入るの?

もしかして自分の好きな事は、周りがやっているから乗っかっているだけかもしれない。

 

端から見たら「ごちゃごちゃうっせーな!」と感じるかもしれませんが、

私にとっては重大な悩みでした。

 

 

導き出した答え

「好きな事」について、色々模索しました。

心がワクワクした事が好きな事。

お金に繋がらなくても良い。

分かってはいても再び湧いてきてしまう悩み。

私は好きな事がないといけないと思っていたのかもしれません。

世間で言う「夢」「目標」

ではなんでそれがないといけないと思っていたのか。

掘り下げて掘り下げてたどり着いた答えは「それがないと嫌われる」と思っていた事でした。

それが怖くて何もない自分をこのままではダメだと責めていました。

 

この悩みのせいか、年齢を重ねる度に自分の行動範囲が狭くなったように感じていました。

好きな事ではないとしてはいけないとまで思っていたのかもしれません。

 

 

じゃあ具体的にどうしたか。

私は自分の人生を「面白がる」事にしました。シンプル。

自分攻めを辞め、「こんな人生でもおもしろいじゃん!」と感じるクセをつけました。

客観的に自分を見るイメージでしょうか。

例えば自分を責めそうになった時、文末?に

「でもこんな人生でもおもしろいじゃん!」と。

どこが面白い、ではなく、こういう人生も面白いと。

何もない自分が、どこまでやれるのか。どんな人生を送るのか。

それを「自分で見て楽しむ」。

 

周りがとやかく言ってくる?

それはその人も同じ悩みを持っていたんでしょうね。

だから口を出す。

 

周りと比べるなとよく言いますが、「周りと比べない」意識している時点で「周り」意識が向いているんですよね。

だからそもそも周りが云々ではなく、自分の中で自分の事をどれだけ意識できるかが大事だと私は思います。

 

これが私の導き出した答えでした。

答えはシンプルだけど、案外こういうのってシンプルなものなのかもしれません。

 

 

こんなに悩んだんだから答えがシンプルじゃダメだ、なんて勝手に自分で悩んでおいてそんな事思っているのかもしれませんね。笑

 

 

 

 

恋人に良かれと思ってやったのに相手の反応が微妙だった時

f:id:hunsuke:20180605173529j:plain

 

「自分は良かれと思ってやったのに、相手の反応が微妙でイライラした」

そんな経験ありませんか?

人間関係でよくあるトラブルの1つかなと思います。

一言で言ってしまえば「価値観の違い」で済んでしまう話なのですが、

相手の反応にイライラしてしまい気が済まなかったり、逆に怒らせてしまった時に読んでいただけると何か気付きがあるかもしれません。

 

相手の反応に期待し過ぎない

これは「する」側の場合。

プレゼントであったり気遣いをした時に、相手の反応が思ったより微妙だったり、

自分の気持ちを踏みにじられるような反応を返されると、する側がイライラする事があります。

しかし、これは自分の気持ちの押し付けとなってしまっています。

「喜んで欲しい」「感謝して欲しい

と、自分が「する」側の筈なのに実は求めているんですね。

そして求めていた反応が返ってこなくて悲しんでいたり、その時の自分がダサいと感じ恥ずかしくなります。

その感情を怒りで隠してイライラします。

「恋人なんだから必ず感謝しろ、喜べ」とルールを決めるのも変ですしね。

「相手の反応に期待するな」ではそれはそれで悲しいかと思うので、100%自分が期待している反応が返ってくる訳ではないくらいで頭に入れておくと良いかと思います。

相手は自分ではありませんしね。

私もイライラした経験があります。笑

 

 

イライラがどうしても収まらない時

相手に「喜んで欲しかった」「感謝して欲しかった」と伝えるのは結局押し付けとなってしまうので悪手かと思います。

それで分かってもらえなかったら↑のループになりますしね。

あくまで頭に入れておいて欲しい事は、どちらか一方が悪い訳ではないという事です。

一番は自分のイライラの奥に感じた悲しさや恥ずかしさ、惨めさを自分で分かってあげる事です。

ですがあまりにこういうトラブルが頻繁に起こる場合はお別れする事も考えて良いと思います。

世の中には様々な価値観を持った人がいます。無理に気が合わない人と一緒にいる必要はありません。

 

 

さいごに

今回は恋人を対象にしましたが、友人や学校、職場などの人間関係全般に当てはめる事ができる内容かと思います。

もし自分が怒りをぶつけられる側になったとしても「ああ、この人は今こういう気持ちなんだな」という気持ちになれる事で余計なトラブルを回避する事も出来るかと思います。

 

周りと比べてしまい、「劣っている」と感じてしまう時のとっておきの解決法

 

f:id:hunsuke:20180602215249j:plain

 

こんにちは。

今回のテーマは「劣等感」

私もたまに感じてしまいます。

そんな時に思い出すようにしている考え方を書いてみました。

何か気づきのヒントになれば幸いです!

 

 

自分がウィークポイントだと感じている部分があり、周りと比べて劣等感を感じてしまう方へ

 

一般的なウィークポイントの例を挙げると、

 

  • 容姿
  • 能力
  • 学歴
  • 経済面
  • 離婚経験

などでしょうか。

 

 

「周りなんか気にしなければいい」

 

「人それぞれ」

 

と言われても、どうしても劣等感を感じてしまう事もありますよね。

今回は、私も意識しているとっておきの解決法をお教えします。

 

 

 

「そんなあなたが成功してしまったらおもしろい」

ウィークポイントと感じている部分があるからこそ、そんなあなたの人生がうまくいったらおもしろいんです。

 

 

全然かわいく(かっこよく)ないのに・・・

仕事でミスばっかりしてるのに・・・

中卒なのに・・・

常に借金があるのに・・・

離婚しまくってるのに・・・

 

 

なのに、幸せそうに生きている。

むしろそんなあなたが幸せに生きている事で、同じような悩みを抱えている人達に勇気を与える事もあるでしょう。

ただ楽しく生きているだけで、いつの間にか誰かに勇気を与えている。

 

時には文句を言われる事もあるでしょう。

ですがもしあなたが完璧超人であったとしても妬まれたり文句を言われます。

どちらにせよ同じなのです。

 

 

 

さいごに

内容はシンプルですが、ここに気付くだけで自分のウィークポイントだと思っていた部分が逆に魅力に変化する事もあります。

大切なのは物事の見方だと私は思います。

ポジティブに捉えるか、ネガティブに捉えるかは自分で決める事ができます。

 

もし劣等感を感じる日々が続いているのであれば、試しにちょっと意識してみてください。

 

 

 

 

 

「自分の事を攻めてくる人」の正体

f:id:hunsuke:20180602113438j:plain

 

あなたの事を責めてくる人、文句を言ってくる人いますよね。

趣味や習慣にケチをつけられたり。

時には真に受けて自分を攻めてしまう事もあるかと思います。

しかし、自分を責める必要はありません。

 

あなたを責める人は、あなたと価値観が違うだけ

人はそれぞれ皆違った価値観を持っています。

許せる事、許せない事、興味、感心の有無。

似ている人はいるかもしれませんが、全く同じ人はいません。

 

責める人は、価値観の違いが気に食わなくて対象に気持ちをぶつけているだけなのです。

合わないなら合わないで、必ずしもどちらかに合わせようとする必要はありません。

あなたはあなた。私は私。

可能であれば、一々責めてくる人からは距離を置くのがベストでしょう。

 

 

 

自分を責めるのではなく、参考にしてみよう

だからといって、自分と合わない人すべての人と敵対しろ!という事ではありません。

時には人の価値観を取り入れてみる事も、自分の視野を広げる良いきっかけになります。

ただ、「責められたから私は悪い、この人に合わせなきゃ」では自分を苦しめるだけなのでそんな風に思う必要はありません。

 

 

 

 

 

 

 

死ぬまで結果は決まっていない

f:id:hunsuke:20180602141542j:plain

 

 

 大きな失敗をしてしまった時、どうにもならなくなってしまった時、

 

「人生終わったな」

 

と思う事があるかもしれません。

 

 

例えば、

仕事で大きな失敗をした。

 

大好きだった恋人から別れを告げられた。

 

 

でも、実は人生はまだ途中。

 

 

その場の「結果」に振り回され過ぎてしまう

もちろん結果は大事です。

目指している数字や環境がある事で、モチベーションとなっているケースもあるかと思います。

 

ただ、自身にとって好ましくない結果であった場合に、その先人生すべてを否定してしまう事があるのです。

私の友人も、努力した就職活動で失敗してしまい、20歳という若さで自ら命を絶ってしまいました。

その友人にとっては、「そこ」が「結果」となってしまいました。

 

 

十人十色、色々な人生がある

 

「レールから外れたら終わり」

という言葉を耳にします。

 一般的なレールの解釈としては、沢山勉強し、高い学歴を身に付け、就職、結婚して家庭を築くというものが一般的であると私は認識しています。

 

果たして本当に終わりなのでしょうか?

そもそも、「終わり」とはどういった基準で決められているのでしょうか?

 

上の「レール」から外れたにも関わらず幸せそうな人を私は何人も見て来ました。

会社を辞める、大失恋をする、大失敗をする。

私はそれでも良いと思っています。

人生において何が正解というのはありません。

 

失敗を経験した人の人生には、必ずその分があります。

もちろん、失敗して落ち込みまくっても良いです。

ただ、先の分からない未来まですべて✕にしてしまうのはまだ早い。

思いきり落ち込んで、一休みして、また新しく踏み出してみませんか?

 

 

「当たり前」への感謝

 

 

 

 

今日は自殺島という本を一気に読んでいました。

 

 

f:id:hunsuke:20180321194351j:plain

 

 

あらすじ(Wiki参照)

主人公セイは自殺未遂を繰り返した末に、「生きる義務」を放棄した意思を示す書類にサインをする。

病院のベッドの上で意識を失ったセイは、目が覚めた時、自分がまだ生きており、そして自分と同じ未遂者達が周囲に何人もいることに気付く。

そして、ここが自殺を繰り返す“常習指定者”が送り込まれる島「自殺島」であることを知る。その直後、未遂者達は飛び降り自殺をする瞬間と死に損ねた者のおぞましい姿を目の当たりにし、一時自殺することを踏みとどまる。“死ねなければ生きるしかない”彼らのサバイバルが始まる。

 

 

 

 

いやー面白かった。一気に読んでしまった。

 

 

※以下ネタバレ注意です。↓

 

 内容 

 

自殺島に連れて来られた瞬間に自殺をしてしまう人、その光景を見て死ぬのが怖くなって自殺をとどまる人、どうせ死ぬんだからと好き勝手に生き始める人。

島には法も秩序も衣食住も無く、争いが絶えません。

 

ただの無人島サバイバルと違うのが、

それぞれの登場人物が様々な理由で自殺をしたいと思う程に人生に絶望しているという点。

当然皆人生に絶望する程に悩んでいた事があり、それが要所要所にしっかりと描かれています。

 

 過酷な状況の中で、元の社会では味わう事のできなかった経験を経て成長していく主人公達。

協力し合ったり、時に裏切ったり。

とても人間味のある内容になっています。

 

自殺島」を読んだ感想

 私が強く印象に残ったのは、元の社会はどれだけ豊かで平和であったかという事。

衣食住が整っていて、あらゆる場面で便利な生活。

当たり前になりすぎて気付かなかった有難さを改めて実感しました。

清潔な家、そのまま飲める水道、安価で手に入る美味しい食事。綺麗に舗装されている道路。

 

挙げたらキリがありません。

 近くのコンビニでたった100円でおにぎり買えるのってめちゃくちゃ幸せですよね。

自分で同じ物を用意するとしたら

お米を育てて、収穫して、研いで、炊いて、具や海苔を用意して、握ってやっと完成。

 

農業への知識が乏しいのでイメージでしか分かりませんが、お米を育てるってかなり大変ですよね。

おにぎりに限らず、交通機関であったり、携帯電話やこのブログサイトもそう。

 誰かが作り、管理してくれている。

そう考えたら通貨にも感謝しました。

今の自分では全くできないような事を、通貨を支払う事で利用させてくれる。

そんな色んな「当たり前」の中で自分は生きているんだなあと感じました。

 

タイトルの通り自殺をテーマに扱っている漫画なので、生々しいシーンが多めですが、ハマってしまうと没頭して読んでしまうとてもおすすめの漫画でした。

 

     

 

 

 

 

 

「根拠のある自信、根拠の無い自信」

f:id:hunsuke:20180605162946j:plain

こんにちは。

今回は、「根拠」と「自信」について書いてみました。

 

巷では根拠のない自信はダメな事だと言われることが多いと思います。

果たしてそれは本当に正しい事なのでしょうか。

私は、どちらの自信も必要なものだと考えているので、その理由を書いていきたいと思います。

 

自分に自信が持てない方も読んでみていただけると何か気付くことがあるかもしれません。

 

 

根拠のある自信、根拠のない自信とは

それぞれの自信について解説していきたいと思います。

 

「根拠のある自信」とは、

 

私はこの資格を持っているから、こういう事ができる

前はこれで成功したから、次もこれで成功すると思っている

など、実際に持っている資格や能力、前の結果などを根拠とした自信。

 

 

「根拠のない自信」

 一方根拠のない自信は、

「なんかしらんけど、うまくいくと思っている」。

 特に経験も成功例もないけど、まあうまくいくでしょ。という。

「無責任な!」と怒号が飛んできそうですね。笑

 

 

 それぞれのメリット、デメリット

 根拠のある自信は、根拠のない自信と比べて安心の度合いが大きいと私は思います。

しかしその分、その「根拠」が無くなってしまった時、失敗してしまった時の反動もその分大きい。

根拠のない自信は、安心こそ少ないものの、根拠そのものが無いので反動も少ない。

要は根拠のない自信は無敵とも捉えられる訳です。

  

根拠のない自信を持つ時に注意する事

ここでよく陥ってしまう事が、

根拠のない自信を持つ→失敗→落ち込む

という流れになってしまう事です。

根拠のない自信で一番意識し、根底にある大切な事は「失敗しても大丈夫」だと思う事。

この前提が一番大事です。

 

笑われても、恥ずかしい目にあっても、何かを失っても、損しても、

大丈夫。

これが根拠のない自信の本質だと私は思います。

やけくそになるのとは違い、覚悟を決める事。

 

さいごに

なんだか根拠のない自信を贔屓するような記事になってしまいましたが、最初にも書いた通り私はどちらも大事だと思っています。

世の中にはまだまだ資格が必要な事もあります。

ただ、根拠のない自信を持ってやりたい事へフットワークを軽くして飛び込んでいく。

それも大事かなと思います。

どちらか一方ではなく、どちらも必要なんだよと伝えたい記事でした。